シッカロールは、ベビイ・パウダーのことですよね。もっとも「シッカロール」は商標名なのですが。
昔は、天瓜粉と言ったものです。瓜の一種を原料に、粉にしたものなので。あるいはまた、「汗取り」とも。
自分にはたいてもらったベビイ・パウダーの感触を覚えている人は、よほど記憶力の良いのでしょう。
「予めベッドに敷いておいたバスタオルで赤ちゃんを拭い、ベビーパウダーを丹念にふってやる。」
津村節子が1977年に発表した短篇『誕生日』に、そんな一節が出てきます。1970年代にはすでにベビイ・パウダーの言葉が用いられていたのでしょう。
1967年に、野坂昭如が書いた小説が、『アメリカひじき』。物語の背景は、敗戦直後に置かれているのですが。
「お袋はだまったまま天花粉で、細い膝小僧をマッサージし、「気いつけなあかんよ」しばらくして、一言だけいった。」
野坂昭如は、「天花粉」と書いているのですが。
野坂昭如の『アメリカひじき』と、津村節子の『誕生日』だけを較べての話ではありますが。この十年の間にゆっくりと、「天瓜粉」が「ベビイ・パウダー」へと変化したのでしょうか。
シッカロールと関係ある画家に、藤田嗣治がいます。
藤田嗣治の絵の特徴のひとつに、「乳白色」があります。たとえば、1963年に描いた『フランスの豊かな実りへの讃歌』を観ても、少女の肌の色が独特なのです。肌色から白色へと移る間の色あいが。まさに「乳白色」と呼ぶべきでしょう。
長い間、藤田嗣治の「乳白色」は謎とされてきたものです。ある時、偶然にその謎が解けた。一枚の写真によって。土門
拳がシャッターを押したアトリエでの藤田嗣治。アトリエの机の片隅にシッカロールの空缶が置かれていたのです。
藤田嗣治が必ずキャンバスを自製したのは、よく識られている話。その工程だけは人に見せることがなかったことも。
おそらく藤田嗣治はキャンバスの仕上げに、水で溶いたシッカロールを塗っていたのだろう、と。
藤田嗣治が好んだものに、ジュイがあります。
藤田嗣治は1922年に、『ジュイ布のある裸婦』が。これは藤田が世に認められるきっかけにもなった絵なのです。今は、「パリ市立近代美術館」所蔵になっています。モデルは、当時巴里の画壇で人気のあった「キキ」。
『裸婦』というのですからキキは素肌。そしてその背景にはジュイ布のカーテンを配置されているのですね。
Jouy
と書いて「ジュイ」と訓みます。ジュイの歴史は、1760年に遡る。ジュイは基本的に、「捺染綿布」。フランス更紗のこと。美しい古典的な風景画などが多いものです。
1760年に、巴里郊外の「ジュイ」で、クリストフ=フィリップ・オーベルカンプによってはじめられたので、その名前があります。
当時のフランス宮廷がこのジュイを保護したので、大いに栄えたんだそうです。
どなたかジュイの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。